2017年7月6日木曜日

聖園女学院 再び 「ミカエル カルマノ神父に会いに行く」


                                                                                                                   201764日訪問
 

もし僅か12歳で傷ついている子がいるならば、聖園の丘にいらっしゃい

↑聖園に咲く紫陽花


 
 私、りんこにとっては、昨年秋に聖園で個人的に癒された以来の再訪。

母を亡くしたばかりの私に聖園の丘に吹く風はこんな感じで私の頬を撫でていく。

 

http://www.misono.jp/    ←聖園女学院HP
 

今回、何故、また訪れたのかと言えば、長く聖園の顔として校長先生の重責に

あられたシスター清水がその職を辞されたという話を聞きつけたからだ。

(シスターは今も学園におられ、宗教学の授業を担当されているので

シスターファンの皆さま、ご安心を!)
 
     ↑本当に大好きな先生、シスター清水を盗み撮りしちゃったよん♡

 

この丘はね、前回レポートしたように丘全体が「あったかい」んだよね。

 http://to-rinko-houmonki.blogspot.jp/2016/12/blog-post_45.html

↑ 前回の聖園女学院訪問レポート
 

今日はまず、新校長がどうだかとか、具体的進学実績がどうだとかという

話の前に掲記タイトルの話をさせてほしい。

 

私は中学受験の世界にどっぷりと漬かって15年くらい経つんだけど

 

中学受験って確かに良い面もあるし、全く何もやらないよりは

やっただけのことはあるとは思っている。それは合否には全く関係しない。

 

でもね、こうも思う。

 

親が余程、賢く(この賢いは勉強が出来るという意味ではなく、人生に

対して賢いという意味です)ないと、我が子に与える傷は凄まじく

取り返しのつかないダメージを与えかねないって。

 

中学受験は椅子取りゲームのようなところもあるので

隣の子は友だちだけど、1席しか席の用意がないならば、その子に譲るという

発想は間違っていて、その子よりも1点上回る点数を取る必要があるんだよね。

 

大人たちは「人は平等」「皆、仲良く」と言う同じ口で

「隣の誰かさんよりも良い点数」を求める。

 

日々、こういう矛盾の中で翻弄されながら「でも、私立、行きたいんだよね?」

という問答無用の雰囲気の中で傷付いている子たちを過去、私は沢山見てきた。

 

中学校に入る前に既に疲れ切っている子たちが大勢いるんだよな…。
 
 
                ↑そこここで開催される「ちょこっと補習」
 

今回ね、聖園でとっても素敵な先生になっている12年目の先生

(すごい美人さんなんだよぉ♪)と長く話をしていた。

(取材歴が長いと、若手だった先生がこんなにいい先生に

成長しているんだなぁってほっこりすることがあって、それも取材を

止められない原因のひとつになっている)

 

その先生、私にこう言ったの。

 

「自分は『いつも見てるよ』ってことを大切にしている」って。

 

「私は生徒を伸ばすって、つまりは自信を持たせるってことに尽きると

思っているんです。

 

『出来たね』っていう何かが出来たってことで褒めることよりも

『いつも見てるよ』って言う方が生徒はすごく伸びるって思っています。

 

『あなたっていう存在をいつも見ているよ』って

伝えると、生徒は教師が何かをしなくても、自分で勝手に伸びていくって

気付かされました」

 

それで、この先生は学年主任だったりすることもあるんだが

自分にノルマのようなものを課して、120名(1学年)いる生徒全員に

とにかく1日に1回は声をかけようとしておられる。

 

この学校はこういう教師で溢れていて、別の男性先生(学年主任クラス)も

この美人先生と同じことをおっしゃるのでデジャブかと思ったほどだ。

 

その男性先生の言葉だ。

 
「私は自分だけで3か月の期間を決めて、生徒全員と1回は話をする
 
ということを試みたことがあります。

『どう元気?』

それだけでも全然、違う。

特に高3は進路で頭がグチャグチャになっている。

いろんな情報が溢れ、同じことでも一方では○、もう一方では×と言われる。

 
様々な価値観の中で迷ってしまうときに、夜も眠れないような子でも

何気ない会話で、自分の頭の中を少し整理できるのかもしれません」

 

その男性先生は「とりたてて狙って何かをしているわけではない」って

謙遜なさるけど、放課後の教室で師弟が共に箒を掃きながら
 

「調子どう?」って聞いてもらえる環境って、あるようでない。

 

                ↑みことば 聖園の試験期間中の合い言葉

 
 

「見てるよ」は人に力を与える


では、現実に聖園がやっている指導の1コマを紹介しよう。

 
世界的に見てもチュー坊は扱いにくい年齢なんだが

ここにlineが出て来て、大人からは交友関係が更に見えにくくなり

一層、扱いにくさが増している。

 

お嬢様学校と言われている聖園であっても例外ではない。

 

このlineゴタゴタ問題があった時、聖園はこういう解決方法を実践している。

 

まずゴタゴタ解決には時間が必要という意識で統一されている。

 

つまり、ゴタゴタしている双方を呼んで、人前挙式のように

握手をさせて「ハイ、問題解決」と教師だけが満足するような解決策を

取っていないことが特徴だ。

(注:人前挙式方式解決法を実行している学校はものすごく多いということを

忠告しておく。何故なら、それが一番、簡単だからだ)

 

ある時、中3の生徒が「lineで『自分のこんな悪口が書かれている』と

親切なAちゃんが教えてくれた」と先述の美人先生に打ち明けてくれたそうだ。

 

その時、聖園教師陣は教師が誰であっても、こんな風に対応している。

 

「トコトン、その子と話をする」

 

送り主が誰という問題は遥か後のことで、その時はその子が

抱える不安をひたすら聴き、何が起こっているのかを知ろうと努めるのだ。

 

美人先生によると生徒は2通りのタイプに分かれるそうで、ひとつは

 

「自分一人では『辛かった』とは言えないから、先生に中に入ってほしい」と

言えるタイプ。

 

これは比較的、短期で解決する問題らしく

大抵はスタンプのセレクトによる誤解だったり、言葉の不遜だったり

「てにをは」ミスだったりするんだそうだ。

 

もうひとつのタイプが「チクったと言われると困るから、先生は言わないで」

という子らしい。

 

美人先生は私にこんなことを言っていた。

 

「『言わないで』という生徒もそうですが、いつもと違う様子の生徒には

不安をひたすら聴くことと同時に、その気持ちを解きほぐすことに

意識を向けています。

 

女の子のアレコレをものすごくよく聴くと『それ本当に言われたの?』って

ことが往々にしてある。

つまり想像力に溢れてしまう年代なので『言われたような気がする』って

ことも多くて、例えば『嫌われているに違いない』って方向で脳内が

一杯になっちゃうんですよね。

 

ひとりでひたすら悪い方向に想像力を巡らせるので、担任は特に

『それは事実?想像?』という具合に、整理整頓に心をくだきます。

ウチの子たちはそうすると、自分自身で整理して、乗り越えていくんです。

 

『先生、もういいや。言いたい子には言わせておくよ』という

自己解決を選ぶ子もいますし

 

翌日には『先生、今日、あの子と話せたよ』って、昨日まで『あの子』と

目も合わせられなかった生徒が笑顔で報告に来てくれることも沢山あります。

 

りんこさん、人間って『共感してもらうと力を得る』んですね…」

 

「力を得るためにサポートを頼むことは恥ではなく、むしろ好ましく

その力を援軍に本人の力で自己解決をすることが人生では大切なんだよ」と

 

聖園を吹き抜ける風は教えてくれる。
 
         ↑学校説明会でのハンドベルクワイア部の演奏♪

 

美人先生は最後にこうも言っていた。

 

「りんこさん、大切なことは『対面』なんです。

着地点はちゃんと『人と向き合う』ってこと。どういう場面であっても

きちんと誠実に人と向き合うってことが大事だって生徒たちには伝えたい。

 

Line問題一つとっても、今の子は一番大切なことをlineで片付けてしまうように

対面をめんどうがる。『そうではない』『人とそして物にきちんと向き合う』

ということを私たち教員はちゃんと伝えていこうと思います」

 

更に、聖園には一大方針があって、それは「ご家庭と学校が同じゴールを目指す」

ってものなんだが、家庭との協調をすごく大事にしている学校なのだ。

(故に、夕刻18時、教師陣は電話にかじりついている)

 

このように、年寄りから若手まで、教師陣にブレが見当たらないのが

聖園の強さである。

 

私も青春の日々に誰でもいいから「そっか、そういうことがあったんだね」って

ただただ聴いてもらいたかったなぁって遠い目になる。

 

その美人先生への生徒からの年度末の寄せ書きにはこうあった。

 

「先生がいつも見ていて下さるので安心感があります」

 

美人先生はそれを読んで、泣いたんだそうだ。そりゃ、泣くわなぁ…。

 

 

             ↑保健室入口のボード(日々更新)

 

 

新校長=ドイツ人神父さまに突撃してやったぜ!

  
「ゲージンさん」+「神父さま」

何を隠そう、このふたつはりんこの琴線をくすぐる二大ワードなのだ。

 

この度、神の領域・シスター清水に代わり、校長先生として

名古屋から神父さま(しかもゲージンさん)が降ってきたと聞いちゃ、

黙ってはいられないでしょう!?

 

もう無理矢理、アポを取るね、当然。

2時間近く、新校長を独占したったぜ(喜)

 

一言で感想を言い切るならば「神父は深い!」

はっきり言って「やられた感(=参りました)」しかない。

 

何故、南山学園との法人合併を選択したのか

 


まずはこの度の交代劇についてサラリとおさらいしてみよう。

 

新校長は南山大学から舞い降りて来た形なので「スワ、南山学園(神言会)、

聖園吸収合併か!?」と勘ぐったのであるが、それは違った。

 

聖園は「聖心の布教姉妹会」(1920年創立)の流れを汲むが、

これを創立された神父さま(ライネルス師)が神言会の偉い人であるという

結びつきが元々あるのだ。

 

聖園はシスターたちの長年に渡る爪に火を点すような暮らしの努力で

経営的には潤沢である。

 

つまり南山は南山、聖園は聖園の独立採算制なのだ。

 

では、経営も順調、わざわざ南山系列になる必要はないのでは?と思うが

話を聞いてみると、そこにシスターたちの「執念」を見るのだ。

 

今現在、日本で神父さまが校長先生という私学は本当に珍しくなったが

それにも増して、シスター校長は本当に少ない。

校長どころか、今や、シスターそのものが絶滅危惧種なのだ。

 

それを誰よりも敏感に感じておられるのは当のシスターたちで

自分たち亡き後、誰に経営を託すのかは至上命題だったのだと思われる。

 

命がけで守って来た理念を次世代にも受け継いでもらわなければならないと

考えるのは至極当然のことであろう。

 

想像ではあるが、シスターたちは理念が似ているところで

今後も出来れば未来永劫、聖園の伝統を維持し、そして時代に合わせて

発展させてくれるような組織を求めたのではないだろうか。

 

それが学校教育を行い、多くの卒業生を輩出している学び舎の義務と

考え抜いての、この度の法人合併のような気がしている。

 

私学は卒業生(もちろん在校生にとっても)には母なる場所、イコール

母校なのだ。いつでも帰れる場所、いつも変わらない大きな存在。

その空気を薄めることは万に一つもあってはならないという

シスターたちの教育に賭ける「執念」に感じ入った次第である。

 

ミカエル・カルマノ校長(前南山大学学長)ってどんな人?


 
 
  ↑ミ・カエルだけに「カエル」とポーズを決めるカルマノ校長💛いーでしょ!? 
 


↑参考資料:ミカエル・カルマノ校長プロフィール(関塾タイムスより)

 

私の中では神父様というものはとても近寄りがたい存在で、後光が

射しているようなありがたい神領域(つまり一般人にはアンタッチヤブル=

畏れ多い)というイメージだったのだ。

 

しかし、この勝手なイメージはカルマノ校長と対面した3分後には

良い意味で崩れ去る。

 

カルマノ先生は私の開口一番の質問

あのぉ~? 先生は毎日、何を祈っておられるので? 
 
聖園って祈りの時間がありますよね? 
 
先生、祈りって何のためにするんですか?」

 

(嗚呼、我ながら、宗教心のないド日本人の発想だわ~。罰当たり!)

 

に、特に嫌そうな顔もなさらず、こう即答されたのだ。

(会話はドイツ語で行われたと大嘘をつきたいところだが、先生が流ちょうな

日本語でご対応)。

 

祈りとは自分を見つめて、自分で(自分の人生の)答えを出すために

やるものです」

 

そして次のように私を諭された。

以下、失礼発言を連発する私に対するカルマノ校長の答えである。

 

「蝋燭の炎のように周りの人に光を分けよ」BYカルマノ校長




「りんこさん、祈りは『幸せになりますように』とか『お金持ちに

なりますように』というためのものではないのです。

 

(えーー!? マジでか!?いっつも私は己の欲を叶えろと
 
お願いしてたんだが…と青くなるりんこ)

 

祈りはあらゆる情報を遮断して、静寂というひとつの空間の中で

自分自身に問いかけるためにあります。

 

『これをやればこうなる。やらなければこうなる』というものは詐欺なんですよ。

騙されてはいけません(笑)

 

人にはそれぞれのミッションがあります。

人生はそのミッションを探して、それを成し得るための今日を生きているか?の

確認の連続と言ってもいいでしょう。

 

『祈り』とは新しい情報を得ながら、自分で考え、答えを模索する時間、

自分が今、何をやるのかを考える時間であり

大きなものに守られていることを確認する時間であり

今、間違っていないかを確認する時間なのです。

 

何故、毎日、祈るのか?ですか?(笑)

 

人はめんどくさがり屋で、怠け者で、忘れっぽいので

年に1回確認すればそれで良いのではなく、何のために生きるのかを

毎日、確認する必要があるのですよ」

 

(りんこ余談:カルマノ校長がそうはゆーても

「自分は毎日、めんどくさいと思って生きている」発言をしたので爆笑した。

朝起きて「あ~、今日もミサかよ!?めんどくさっ!」って思うんだって。

神父がめんどくさいなら、私のような凡人が毎日をめんどくさがるのは

仕方なくね?って赦された気がしたゆるやかな時間が流れた)

 

「感化する、考える時間が祈りであるのですが

 

それを見つめ、行動を起こすためには、静かな環境が必要で、

出来れば決まった時間に行う方がやりやすい。

だから、聖園では授業前に祈りの時間を取っているのです」

 

(この祈りに対しても「キリスト教を生徒に押し付ける気は毛頭ない」という

お気持ちのついでに「神はいるか?どんな形をしているのか?」と問うた私に

「自分の中に神はいるが、それは自分だけが作っている妄想かもしれないし

その神のイメージは隣の人とは違うかもしれない。

でも、それでいいのだ。

 

目に見えないものを否定しては人間関係も成り立たない。

何かを信頼して生きていなければ、生きる意味もないんじゃないですか?」と

逆に透き通った目で問いかけてくるんだよな、この神父さまは…)

 

続いて、別の質問を振ってみるりんこ。もう、怖いもの知らずだね、私。

 

「先生、教育ってなんでしょう?」

 

「教育の9割は環境作りです。

残り1割は生徒(の人生)に必要なことを教えてあげること。

 

教育は教えるだけではないんですね。

本人が学びたいという気持ちの「動機付け」の部分が一番で

 

生徒に期待することはこの6年間でやりたいことを見つけ

何処に進むのかという雰囲気があればそれで十分です」

 

(りんこ注:もちろん、進学率はかなり気にしておられ、合格実績を

上げないことには経営上苦しくなるということも率直におっしゃる。

 

南山女子部(=2017年3月実績 卒業生約200名中 東大4名、国公立114名、

国公立医学部医学科に38名を叩き出している超名門である)くらいには引き上げて

いきたいというお気持ちを聞かせて頂いた。

 

神父さまではあるのだが、大変リベラルで現実路線を取られる方だという印象。

 

それを証拠にこれからの日本女性(世界的にもそうなんだって)は

経済的にも社会構造的にも「仕事を一生続け、家庭を支える」というスタンス

でいることはマスト(男性一人の一馬力では生活できないから)だと言われるのだ。

 

キャリア教育は職業訓練ではないと言い切り、在学中は「ここいらあたりの

仕事に興味があるなぁ」とわかればそれでいいとおっしゃる)

  

「りんこさん、人というのは面白いもので、早くに進路が決まればいいと

いうものではないようです。

 

アメリカのある大学での研究結果ですが、大学入学早々に将来の仕事を決めた

学生よりも迷ってかじって「やっぱ、これだ!」と学生生活最後に決めた学生の

方が成功しやすいというデータがあるんですよ。

 

その模索を試みる動機付けとして、生徒たちには課題を与えていきたいですね」

 

(りんこ注:カルマノ校長の大学の講義は面白くて、遅刻した学生には

「面白い話をしなさい」と命じるので、先生の講義での遅刻が激減したとか

 

レポート提出の条件に「授業で先生が講義したことは使用不可」を付けたり

(習って知ったこと以外の知りたいことを知って勉強せよって意味)とか

さすが名物学長の講義は嫌がらせ感半端ない(笑))

 

「10代の頃、自由がないという暮らしをするのも悪くはないので、今の

校則を変えるつもりもありません。

(りんこ注:カルマノ校長の言う「自由がない」とは例えば、自分は

今は数学ではなくて、英語を習いたいんだけどなって思っても

時間割どおりに動かねばならないという不自由さを指している)

 

聖園のダラダラ坂を友人と不満を言いながら登る『脚力が付く6年』を

過ごすことはとても良いことで、自分が抱える問題を友と話すことは

その問題解決の助けになるでしょう。

 

人間は形から入るのも理にかなっていて、弓道、茶道という「道」系に

代表されるように、形を身に着けることから内容が付いてくるということも

沢山あって、厳しい規律にも意味があるんですね。

こころの教育は生活習慣で(その人の中に)入るものですから」

 

(りんこ注:そうは言っても聖園の校則はそこまで厳しくない)

 

ええーー!?じゃあ、スキーもテニスもウエアから入った私は

正しかったのね!?と小躍りするバブル化石りんこ(なんか、違う?)。

 

更に私は質問する。もう、こうなったら、何でも聞いとけ!

「幸せって何ですか?幸せになるコツはありますか?」と。

 

カルマノ先生はこう答えられた。

 

幸せは目指すものではないです。幸せというものは人生を終えるときに

『幸せだった』と自分で思えるかで決まると思います。

 

では、最終的に自分の人生に自分でOK!という審判を下せる方法は

何か?と言えば『何かに打ち込む』ということになります。

 

本当の幸せは『自分のことも忘れる(りんこ注:何もかも忘れるほどに

打ち込める何かを持つ)』ことにあるのではないかって思っているのです。

 

幸せになるコツがあるのだとすれば、それは『センスとスキル』を磨くこと

だと言いましょう。

 

これはある程度、訓練で補えるものです。

 

『幸せになりたい』って気持ちを手放して、自分のことよりも

人のことを考えるってこと(誰かの何かの役に立つように生きること)が

幸せになるコツなんだと思うんですね」

 

調子に乗った私は更にカルマノ先生を追究する。

「先生、死ってどういうものですか? 死んだら、どうなるんで?」

 

校長がこう答えたので、私は再び、爆笑だ。

 

死んでないからわかりません(笑)

 

でもね、りんこさん、死んでないから、今を生きるんです。

 

3年前、名古屋で禅の導師と対談をしました。

その時に『今をどう生きるか?』で盛り上がったんですね。

 

今、おとなしくしていれば天国、或いは極楽浄土に行けるって

発想はないということで意見が一致したんですが、それは人生の長さではなく

 

今、納得できる生き方ができていれば、あと(死後)はどうにでもなるって

そう思っています」

 

更に、底意地の悪い私は神領域の方にこう聞いたのだ。

 

「では、先生は人からどのように言われて死にたいですか?」

 

もうね、この答えに私は本当に久しぶりに特大場外ホームランを

見たようで、スカッとした。

 

変人だと言われる人間になりたいですね」

 

「何人か?」と問われたら「変人」と言いたいし、そのように評価されたい

っておっしゃるので、めっちゃ拍手をしてしまった。

 

説明しよう。

 

先生の言われた「変人」には多分、ふたつの思いがあるとみる。

 

ひとつは「オリジナルであること

 

誰かの真似ではなく、誰かの高評価のためではなく

自分を見つめて、自分の意志で自分の人生を生きるという強烈な決意である。

 

(先生が15歳のときにドイツのお母さまに「神父になりたい」という

決意を示した時に、お母さまは
 
私を喜ばせるために言うのであれば、やめてちょうだい
 
とおっしゃったんだそうだ。

 

私たち、中学受験の親たちは子どものためと言いながら「私(母)を喜ばせて」

というメッセージを常に我が子に送っていないだろうか?

私は先生のこのエピソードでしばらく動けなかった)

 

そしてもうひとつが「わかり合おうとすることの大事さ」である。

 

もし自分が「普通」で他人が「変」だと思い込んでいたら、その他人とは

話もしないであろう。ゆえに、何も出来ないし、何の発展もない。

 

自分の目線は自分だけで凝り固まる「決まった路線」でしかなく、違う路線は

目にも入らないであろう。

 

しかし、自分が「変」で他人が「普通」であるとするならば、

自分はどうにかして共通項を見つけるべく、胸襟を開き、わかり合おうと

努めるのではないか?

そうすると、また別の何かが見えてくるのだ。

 

勉学もそうで、例えば、外国語を学ぶことは、また違う何かを見ることに

繋がる。学べば、視界が開けるのだ。

 

例を出すならば、英語では「take a picture」という表現をするが

ドイツ語では「写真を作る」と表現する。

言語によってイメージする世界が違うのだ。

 

「決まった路線」だけが正しいと思ってはいけない。

自分の当然は当然ではない」のだ。

 

だからこそ、これから聖園生となる女の子たちにはこう言いたいとおっしゃる。

 

「先生や親の言うことは9割が正しい。しかし、残り1割、これは本当に

そうなんだろうか?と疑い、反発する心を持ちなさい。

 

聖書であっても、それは人間が作った(書き著した)もの。

時代背景によって書き方も解釈も異なる。

 

すべての物事が『今はこうだが、変わるかもしれない』

世の中に『絶対』はないのだ。

 

学校も子どもを変えていくが、子どもも学校を変えていく能力がある。

 

自分で考えて、自分の意志を持ちなさい。

ハッキリとその意志を言葉にしなさい。

 

そうすれば、あなたの未来が光り輝く方向に導かれるでしょう」

 

冒頭で「これまでの12年間で傷付いて来た子は聖園に来なさい」と

私は記した。

 

多分、あなたのお子さんはとても良い子で、良い子だからこそ

周り(親にさえ)に気を遣い、空気を読み、言いたいことを封印し

そしてその暮らしに疲れている。

 

この丘での6年間、教師陣のぬくもりの中でその傷が癒え、そして

やがてはカルマノ校長の元で「自分の意志を言葉で現す」ことが

出来るようになるだろう。

 

まずは「自分は何をしたいのだろう?」と己に問いかけることが

幸せへの入り口なんだよと明確に教えてくれた新校長。

 

聖園の丘では薔薇の花が今を盛りに咲いていた。
 
 
 

数字で見る聖園女学院

 
 

校訓 信念・精励・温順


 


教育理念 神様がいかに全世界の一人ひとりを、かけがえのない存在として

     大切にされているかを教えます。神の子として国を越え、

     文化を越えて互いを理解し合い、人類の平和と福祉のために

     尽くすことができる女性を育成します。

 

女子校

 

一般入試(2科または4科)または英語入試、または総合力テスト入試

 

当日もしくは事前面接あり

  

N研偏差値 1次(42)  2次(49)  3(44)  4(45)  総合力(49)

 

アクセス 小田急江ノ島線 藤沢本町下車 徒歩10分、善行下車 徒歩15

 

生徒数 633名 (中学 295名 高校 338名) 

 

教員数  専任 51名(男性19名 女性32名(内シスター3名))

     講師 11名(男性名 女性10名)
 

ネイティブ  3名 

カウンセラー 1名 (非常勤)

 
高校募集 なし

 

選抜クラス なし

 

 習熟度クラス あり (高校英語)

 

学食 なし

 

携帯 届け出制(朝礼で預かり、終礼で返す)

 

中学から他高校への進学者数(2017年4月)

  3名

 

大学進学者実績(卒業生108名)2017年4月

※合格者ではなく、実際の進学先を明記

 

首都大2名(内推薦2)、神奈川県立大福祉大1名(内推薦1)、
 
慶應2名(内推薦0)、上智6名(内推薦4)、青学6名(内推薦2)、
 
立教2名(内推薦0)、中央2名(内推薦0)、法政2名(内推薦0)、
 
明治3名(内推薦0)学習院2名(内推薦2)、日本女子2名(内推薦1)

 

受験準備 (2017年3月)12名(卒業生108名中)

 
 

 

5 件のコメント:

  1. いつも、拝読させていただいております。とても素敵なお話でした。今年度中学受験の娘についてもいろいろと考えました。これからも、ブログの更新を楽しみにしております。

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    1. わざわざありがとうございます!

      長い文章なのに読んでくださり感謝です。

      私たち親が我が子に出来ることは意外と沢山あって
      でも、その答えはシンプルで

      「幸せになれ」ってことだけなんだなぁって

      この取材で改めて思いました。

      お嬢さんが母のためではなく、自分のために
      幸せになるように、そのための環境作り
      がんばってくださいね。

      コメント、嬉しかったです。ありがとう!



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  2. 聖園…いい学校ですね。
    偏差値もうちょっと高くないですか?

    清泉・鎌女大の取材もお願いします。
    りんこさんの感想聞きたいです!

    これから中受です��

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。

      偏差値は流動的なものなので、チョコチョコ動きますが
      まあ、こんな感じであります。

      取材リクエストありがとうございます。
      チャンスを頂ければ伺いたいなとは思っております。

      沢山の学校を見て、お子さんの花が開きやすそうな
      場所を選んであげてくださいね。

      削除
  3. 南山学園に子どもを預ける者です。
    (南山は、男女別学です。経営も異なるので、先生のキャラから、学習内容から、校則こら、まるきり違う学校です。)
    学校選択の段階では、現在の長崎南山におられる西校長先生が校長先生でした。
    この方のお話が、とても心を打つもので、学力で選ぶのではなく、ぜひ、この学校に子どもを預けたいと思いました。同じ話を聞いた子どもも同じ思いで、文化祭などで校長先生や学校の雰囲気を知るにつれ、どんどん、学校に魅力を感じていきました。私自身も、そこに子どもがいる姿が想像できたのが大きな決断となりましたね。
    南山は、学習を強制しません。ときどき不安になることもあるけれど、先生方はとても温かく、どの子も大切にしてくれます。
    聖園さんとの合併については、何も知らないのですが、りんこさんのお話の中に出てくるたびに、似ている学校だなぁと思っていました。
    うまく伝えたいことを言葉にできないけれど、親も子も学校へ行くのが楽しみで、気持ちが穏やかになるのは、予想以上のものでした。キリスト教の教えがそうさせているのか、なんなのか、それは今はわからないけれど、大好きな学校です。

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